インフラなどを建設する際、構造物の重みで沈下や傾斜が発生しないようにする必要がある。また、建設後の自然災害に耐えうる強度も必要とされる。そのため、構造物の建設計画時点から調査、設計、施工、維持管理の段階のすべてにおいて、地盤の特性や挙動に注意しておく。この役割を担うのが「地盤のプロ」だ。
基礎地盤コンサルタンツには、多くの地盤のプロフェッショナルがいる。事業本部ジオラボセンター、センター長である若杉護(わかすぎまもる)もそんなプロのひとりだ。
「新規の建設計画、既存の構造物の維持管理、防災の過程で、地盤に関するさまざまな検討が行われます。地形や土地の履歴、過去の地盤データなどを元に場所の選定が行われたり、ボーリングや各種の地盤調査、土質試験などを行い、設計に必要な定数を求めていきます。ここはサンプリングした実際の土を使った土質試験の最前線です」
試験室の責任者である若杉の「職名」は公式には謳っていない。地盤調査の「プロフェッショナル・エンジニア」であり、土質試験の最高責任者でもあり、また時には研究にも従事する「チーフ・リサーチャー」でもある。だがその重要性に比して、一般的な知名度はけっして高くない。産業界では、こうした「調査・研究」分野の技能者のさらなる社会的地位の向上のため、「調査の匠」という新たな認定制度を設置した。もちろん、認定への道は厳しい。実務経験を25年以上、その他、制度の主旨にふさわしい数々の実績が求められる。その認定人数は年にわずか数人。若杉はこの「調査の匠」の認定者でもある。
「平成元年に入社して以来、試験室での土質調査を担当しています。もとはと言えば、専門学校で『地質調査技師』の資格を取るところからスタートしました。出身は新潟の上越市で、どちらかというと海を眺めて育っていたほうなので、とくに『土』に固執していたというわけではないのですが、それからもはや30年以上、土いじりをしています(笑)」
彼の卒業した国土建設学院は、かつて東京の小平市にあった土木地質工学系の専修学校である。建設業界へ多くの優れた人材を排出してきた歴史ある学校だが、社会構造の変化もあり、現在ではその役割を終えている。若杉は、中学では化学部、高校はテニス部に所属した。化学部というのがかすかにその後の人生を予感させるが、土質調査の道を目指した確信的なきっかけはないと話す。
「若い頃は、漠然と自分の役に立つ資格が取りたいと思っていました。当時はバブル経済の影響もあり建設部門が伸びていたというのもあって、自分の性格を考えると、なにかを売ったりするような販売や営業の部門より、実際に手を動かすものづくりの現場のほうが向いているのかなとは、なんとなく感じていました」
若杉はおだやかに、言葉の間違えを避けるようにゆっくりと話す。彼は、構造物に対する土質力学のパラメーター(媒介変数)求めるための「土質試験」を日夜行っている。そもそも土質試験はなんのためにやるのか。また、土質調査に対するニーズは増えているのか。約30年という月日の流れのなかで感じた社会の変化について、若杉はこう語る。
「土質調査自体の歴史は古く、当社をはじめ1950年代から行われていることです。当初は調査技術の確立や活用方法など、まだまだ手探りの部分もあったのだと思います。時代を経て、土質調査が予算の効率的な使い方につながるという『コスト意識』が確立されてきた。建設コスト、安全のためのコスト、さらに長期的な維持管理のためのコストを削減することができる。たとえば、高速道路などでも、道路や地盤の健康診断をすることによって長寿命化が図れたり、また雨の影響、重量の影響など、いろいろな未来が予測できる。過度な投資はせずに、必要な改良のみをきちんと施す。そして、大きく壊れる前に補修する。常に安全性を確保しながら、インフラの効率的ライフサイクルを確保する、そんな時代になっていると思います」
実際に建造物を建てるのではなく、あくまでも「土質試験」のみを行うこの仕事は、縁の下の力持ちである。ふと、地盤のプロが見る「街の景色」が気になった。地盤を知る人間は街をどのような目で見ているのか。何気なくそんなことを尋ねた。
「川や丘など、景色を眺めながら、その場所の地盤がなんとなく感じられることはあります。その他に、たとえば(センターのある)ここは長沼原(千葉県)というもと沼地だった場所です。名称が土地の構造を教えてくれる。お城などの遺跡は硬い地盤の上に立つ。これも歴史がその土地を語っています。人気番組の『ブラタモリ』ではありませんが、『人間社会の経済的な営み』を映し出すような『地盤の物語』があるような気がします。東京湾の下に眠る公害の跡は見ただけでは分からないけれど、サンプル調査をしたりすることで物語が浮かび上がってくる。もちろん、最終的には試験による数字が重要ですが、日頃のそういう何気ない知見も意外に大事なことなんですよね」
地盤の弱い土地も活用しなければならない場合もある。その場合、適切な土質試験を行い、地盤改良の指針を提示していくことになる。川崎と木更津を結ぶ海底トンネル「東京湾アクアライン」が開通したのは、1997年のことである。これは、若杉が入社した前後のプロジェクトだ。
「海底の地盤にあれだけの建造物を建てるというのは、やはりすごいことだなと感心します。建設それ自体もすごいけど、地盤調査のための機械もなにもまだまだ脆弱な時代にあれだけの成果を出すのはたいへんなことだったと思います。大手ゼネコンさんは(たとえばこのアクアラインのように)有名なインフラを前に、『これは私が手掛けたのだ』と胸を張ることでモチベーションを上げるという話をよく聞きます。構造物には参加していないけれど、試験室の技術者も目に見えない部分で貢献している。けっしてスポットライトを浴びる部署ではないのかもしれないけれど、非常に重要な役割なんだなと改めて思います」
どこよりも地盤を識る会社は、ニッポンの災害のたびに迅速な行動を迫られる。まだ若手社員であった若杉も阪神大震災(1995年)を経験し、神戸ポートアイランドの液状化の調査に関わった。
「実際現場を訪れ、メカニズムの解明のお手伝いをしました。やはり未曾有の震災でしたし、私にとっても強烈なインパクトがあった。自然の怖さを知ることになり、いい経験になりました」
地震が起きるとすぐに現場に駆けつけ、土質調査をやる。災害の規模を調べ、復興のための調査をする。大規模災害の場合には、復興の旗振り役は国や自治体が行い、さまざまな専門家や企業が調査に関わり、報告書などにまとめられていく。復興事業の際、その貢献が必ずしも実際の事業に結びつかないこともある。
「すぐ現地に行ってすぐ試験をし数字を出す。もちろんそれは社会貢献だという自負もあります。ですがそれだけではなく、インフラに対する向き合い方の再点検にもなる。完全に壊れないものをつくるのか、ある程度壊れてもすぐに復旧できるレベルのものをつくるのか。100年に一度、千年に一度の災害に対してどう向き合っていくのか。災害とうまく付き合うためにはどうしたらいいのか。それを解いていくための地盤調査はなにか。災害が起きることは悲しいけれど、その災害を次の安全性に活かしていく、それが我々のいちばん大事な役割なのかなと思います」
話を伺いながら、センターにある各試験室を見学させてもらった。さまざまな「特殊」機械が静かに稼働されるのを待っている。センターには、何人もの土質調査のプロが待機する。現場には別の担当者が張り付き、彼らがセンターにサンプルを持ち込んでくる。現在、基礎地盤コンサルタンツでは、3箇所の試験室(東京・大阪・広島)で全国の現場を担当している。採取した組織から内部の「見えないもの」を診断する。会話の合間に、お医者さんで言うと病理医みたいなものですか? と、素人考えをぶつけてみた。
「そこまではどうですかね。あくまでも地表の話ですから、地球全体の把握まではちょっと恐れ多い(笑) 事前調査という意味ではむしろ、商品をつくる際のマーケティングに似ているのかもしれないですね。事前にその場所の状況を分析すればするほど得るものも大きくなる。ボーリング地点の数を増やせば答えの精度も上がるし、安全性や耐久性、コスト面などの違いも出る」
おだやかな表情ながら、土質調査の意義を語る言葉には自然と熱が入る。最初から土質調査の道を目指していたわけではないと言ったプロフェッショナルの若杉に向かい、あえて「この職業が好きですか?」と尋ねた。
「どうなんでしょうね。ただ、家族で海に行くと知らないうちに海岸の砂堀りをしているらしいんです。女房に指摘されました。『また、穴掘ってる』って(笑) 掘ってるうちに離れた場所から水が出てきたりするのをいつのまにかじーっと眺めていたりするんですよね。『土』を意識していたわけじゃないと言いましたが、長年の土いじりで、すっかりこういう人になってしまったのですかね(笑) 長年やっていると、やはりこのケースでこの値は違和感があるなど、一種の勘みたいなものも働いてきます。たとえば、私の大先輩にあたる方で、地盤を触っただけである程度の状況が推測できてしまう方もいらっしゃいました。まだまだ目指す先はあります。また、けっこうな苦労もあります。通常は一定の規格に沿った試験が多いのですが、現場の意向、クライアントの要望、施工の都合などによって『規格外、自由裁量』の調査になることもある。こうなるとマニュアルがないので、うまくいくという確信がないぶんだけものすごく苦労する。自由になればなるほど苦しいんです(笑) だけど、周りと同じことをしていたら技術の進歩もなく、他社との差別化もできない。単に価格だけの勝負ではなく、いままでやっていないことを研究開発して世に広めていく、そのことが創業当時からの大事な指針になっているのかなと思いますね」
試験室は会社の武器だ。土地に対する知見、歴史観、データベースなど、先人から譲り受けたノウハウ、指針、技術をまた、彼らが後進へと伝えていく。最後にどういう仲間がほしいか、地盤調査のプロフェッショナル・エンジニアとして、どういう人間をこの会社に迎え入れたいかを尋ねた。
「そうですね。学校で一生懸命に学んできた即戦力ももちろん欲しいですが、地盤の世界をイチから学ぶ意欲がある人を歓迎したい。私たち調査マンは、ふだん見られない『土の中のこと』を見られるのが楽しい。それを心から楽しめる人が向いているのかもしれません。私も最初はまったくの無知でした。ぜひ、我々といっしょに意義のある土いじりをしましょう(笑)」
そう言って笑顔になった若杉の顔は、自信に満ち溢れているように見えた。(敬称略)